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webadm | 投稿日時: 2007-2-2 6:14 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3107 |
直流回路の演習と実験 今読み進めている「詳説 電気回路演習(上)」大下真二郎著 共立出版の直流回路の章の解説はページ数も少なく終了。その後に延々と沢山の演習問題と解答が記述されている。「詳説」とあるから理論の説明が詳しいのかと思ったら演習の解答の解説がついているという意味らしい。
これまで疑問に思っていたところの定義の導出に関しても演習問題として出てくる。しかし私が解いたような方法ではなくとっぴでもないところから導き出している。どうやってこんなやり方を思いついたのか疑問に思うぐらいだ。これも読者に解かせるという意味合いもあるのだろう。誰でも思いつく解き方を説明しては確かにおもしろくない。 残念なのは演習とその解答で自己完結してしまって読者にはちょっと不満が残る。本当は解答が無いほうがいいのかもしれない。もしくは読者がそれぞれやってみて疑問やそれぞれの解を見いだすきっかけとなる実験テーマを提示するとかあったほうが良いかもしれない。 確か学生の頃には電気工学概論という授業で一応直流と交流理論をうわべだけ教わって交流回路の実験を1回だけやった記憶がある。すっかり何をやったか忘れたけど実験レポートに何を書いたかは覚えている。 実は電気回路理論を学ぶには既に正しいとされている定義を知るだけではなく実験を通して理論値と実験結果の相違があることを経験することが重要である。実際昔やった交流回路の実験も理論値と少し違った結果が出るように最初から意図されたものである。理論と実際の相違に疑問をもち、それに関して自分が説明できないないということに気づかされるわけである。 本当はオームの法則やキルヒホッフの法則もそうした先駆者がどうやってその理論が信じるようになったかをひもといて語ってくれたほうがいいのかもしれない。 昔子供の頃に食い入るように見ていたNHK教育の番組に「先駆者達」というのがあった。確か京都大学かの先生が欧州の科学・技術、産業革命の先駆者達をひとりひとり取り上げてその苦悩や功績を語ってくれていた。もともとは高学歴か大人向けの番組だったように思えるが小学生で科学に興味がある自分にも大変おもしろかった。再放送はたぶん出演者が他界してしまった今では著作権上許可も得られないので絶望的なのは残念である。 実際科学の世界では理論として完璧でも実験でその裏付けが得られるまでは高く評価されない。大抵は発案者が死んだ後に後生の人がそれをやっと裏付けることができるかどうかというのが普通。やはり理論を自分のものにしていくにはそうした実験による裏付けがいかに難しいかを学び、自分の新しい理論を裏付けるためにも実験方法だけでなく観測手段とかに工夫を凝らす必要があるということを初期の段階に知る必要がある。 そこで教科書には無いが直流回路の実験を行ってみることにする。 簡単な分流回路と分圧回路についてオームの法則通りに観測結果が得られるかどうか理論値と比較してみることにする。 実験方法は意図的に一般的な観測方法(電流計、電圧計)で測定すると理論とは差が出るような条件で行う。 すなわち分流回路ではなるべく大きな電流が流れるような回路定数を選択する。逆に分圧回路ではなるべく少ない電流しか流れないような回路定数を選択する。 これによって測定器を接続することによって回路定数が少し変わっただけで測定器を接続しない理想的な状態から観測結果がずれるはずである(これも今のところ机上での理論だが)。それを或意味実証する実験である。 何もしらない学生であれば測定結果が思惑とずれがあることで「理論通りでした」という形で簡単にレポートを書くわけにはいかなくなる。「理論とは違っていた」という問題が発生するわけである。そしていろいろ可能性を洗い出し、その差異が生じた原因に関してそれぞれの独自の理論を展開しその理論の証明をしなければならなくなる。 原因にはいろいろある、 ・測定器が正しくない(測定手段に着眼するのは重要、理想的な回路には測定器は取り除いて電圧、電流を計算しているはず、しかし校正されていないとか、壊れているとかというのは証拠が必要) ・回路定数が正しくない(抵抗値には誤差があるし、温度によっても変わるのに着眼するのは重要、しかし最初に理論値を計算する際に実際の定数を正確に測定すれば言い訳はできない) ・オームの法則が正しくないかもしくは成り立たない(オームの法則が成り立たない場合があるのを知っていることは重要、しかし法則が間違っていることを証明するのは難しい) ・回路が間違っていた(非常にあり得る、もしそうなら実験は実施者の過失で最初から失敗だったわけだが気づかないよりましだし、気づいていながらあれこれ屁理屈をこねたり実験データを改竄して虚偽のレポートを捏造する愚行に走らずに済む) で実際には広範囲に要因を考慮してもっともな理由というか差異の出る理論的な説明が出来ればスタートラインにたったと言える。 人のレポートの丸写しではまったく意味がない。それに演習問題みたいなものにいくら教科書通りの解答が書けても実践的な力があるとは言えない。 近年の教育が受験志向になってしまって、学生は試験さえパスすればいい、試験にパスすることだけが最大の関心事になってしまった弊害を創り出している。私も社会に出てから数年間はいつも学生の頃の期末試験の最中にフラッシュバックする夢を何度も見てそのつど脂汗をかいていた。夢から覚めるたびに「もう試験を受けなくていいんだ」と自分に言い聞かせて心を癒していた。 落第者を出さないというのが売りの学校もあるけど、私が通ったところは平気で単位が1つでも不足したら留年させられていたので単位を落とすのは一つでも恐怖だった。 実際5年間のクラス全員の顔写真を学園祭で展示していたクラスもあった。それを見ると学年を重ねるにつれ顔ぶれが変わってしまっていく様子がはっきりして笑えた。一般の人があれを見てその意味を理解してくれたかどうか謎だが。私の時も2年に進級した際に1年上のクラスから留年する人やクラスメートで1年に留年する人とかが出て、毎年進級の季節は来年は我が身かと身震いしていた。それはまた試験対策とかに過剰な労力を払ってしまって本当に学ぶことの楽しさというのを奪ってしまっていたのかもしれない。 今思えば「計測工学」とか「制御理論」とかで今なら当たり前に常識になっていなければならないことがまったく知識として残っていないというのが残念である。結局やり直しのなんとかということになってしまう。 それでも変に常識として知っていても実務では登場しないものもあった。エネルギーの公式とかは後にも先にも入社試験と、学校の教科書でしかお目にかからなかった。やはりあまりそういうものは沢山覚えていても仕方がなくて、いつでも疑問に思った事に関する分野の先駆者の残した理論や成果を素早く学ぶことが出来る方が重要だと思う。その点だけは救われる。 |
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